事情

「仮面ライダー響鬼」の事情 ドキュメント ヒーローはどう〈設定〉されたのか

本作が大きな論争を呼んだように、この本の内容についてもまた意見が割れているようである。片岡氏自身が言及しているように、著者が置かれている立場は当事者としてはアンフェアな側面を否めない。某Pとは最後まで解りあえなかったようだが、仕事を共にしていてもそういう状況に陥ってしまうのだから、これを客観的な「ドキュメント」とみなすのはやはり苦しいところである。あくまで視点は著者にある。本作を愛する者のひとりとしてその舞台裏を垣間見れたのはうれしいことではあるが、下衆の勘繰りとは分かっていても本当はどんな事情があったのか余計に知りたくなる。

さて、特ヲタ的書評はともかく、これを読んで考えさせられたのは、片岡氏の言うところの「格率」(自分だけの決めごと)である。曰く、自分のアイディアが何ひとつ採用されなくても、作品自体がそれで良くなるのであればそれで善し ― と。
私が身を置くIT業界に限ったことではないだろうが、請負の仕事では思想的/嗜好的に相容れない文化を受け入れなければならないことが往々にしてある。鈍感力のある方なら何食わぬ顔で対応できるのであろうが、少々こだわり癖のある私にとってはストレスでしかない。もちろん、飯が食えなくなるので自分自身で折り合いをつけるしかないのだが…。
ITだの、コンピュータだの、傍から観ていると物事が機械的に決まるように思われるかもしれないが、さにあらず。極論すれば、好きか嫌いかの選択の果てにコンセンサスがあるようなものである。属人的な要素が多分にあり、エンジニアリングというには程遠いのがこの業界の実態である。特撮番組の制作との比較に多少の無理はあるだろうが、もの造りにおいて様々な利害関係者の意見の衝突がある点では同じだと思う。どんなに願っても通らない意見は必ずあるし、ごく一部の声の大きい者の意見が総意となることもある。そんなとき、自分はへそを曲げずに仕事を続けられるだろうか、たとえそれが通らなくても開発プロジェクトをよりよい方向へ向けるために意見し続けることができるだろうか。

片岡氏の本心がどうであれ、氏の格率を私自身への問いとしたい。

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